競馬の奥深さとそこに込められた熱い想い
競馬で走っている馬、すなわち競走馬は、たくさんの人たちの夢と希望を乗せて走っているものだと、表現されることがあります。
確かに、400年以上を誇る競馬の歴史の長さ(日本に限っても100年以上前からあります)や、より速く、より勝てる馬を生み出すための血統や血筋の研究、馬の能力を最大限に引き出すための騎乗の追求など、ただ単に走っているだけに見える競走馬であっても、そこにはたくさんの人たちの熱い想いと、知恵と、努力と、血と、汗と、涙と、そしてそのそれぞれの歴史が、深く深く込められている訳です。
若い女性が楽しんだり、競馬場がカップルのデートスポットになったりと、親父が楽しむだけという昔のバンカラなイメージは払拭され、随分と一般的なものになったというのはトップページなどでも触れた通りですが、それでもまだまだその奥深さや、そこに込められた熱い想いや魂について、理解している人は多くはありません。
よく、競馬を語らせたら止まらないという方がいらっしゃいますが、それはそれだけ競馬が奥深いものだからであって、その人がそれをきちんと理解しているということなのかもしれません。たとえギャンブルをやらない人であっても、そういう話にちょっと真剣に耳を傾けてみれば、必ずや興味を惹かれるはずです。
レースにおける、熱いゴールシーン。その時、競馬場でちょっと注意して見てみれば、涙を流している人も少なくありません。それは、負けた(お金を摩った)からとか、勝った(儲かった)からとか、そんな単純な理由で涙を流している訳ではないのです。馬に、レースに、そして競馬というもの自体に、たくさんの人の熱い想いや魂が込められているからこそ、馬がひたむきに走っている姿に感動し、涙がこぼれてくるのです。
それもあってか、競馬発祥の地であるイギリスでは、競馬はセレブの人たちが楽しむような高貴なスポーツとして扱われているのです。同国ではサッカーに次ぐ人気を誇るとも言われていますから、その思い入れが容易に想像出来るというものです。
ともあれ、たかが競馬、されど競馬。たまにはこんなことに思いを馳せながら、競馬を楽しむというのもいいのではないでしょうか。そしてもちろん、儲けることが出来ればそれに越したことはない訳で・・・。